「現象」と「時間」
冨岡雅寛さんのカオスモスマシン(http://www.chaosmos.jp/)は、電力/自然力/動物学的生理といった偶然に頼ることなく、人間が「触れる」という意志=必然において「現象」を発生させます。私達は、この「現象」を「美」として楽しみます。
触れる人が、自ら創出した現象と対話し、行為/意識のあり方を模索する事に、カオスモスシリーズの意図があります。
「現象」とは、色/形/面/線といった視覚的要素だけではなく、空気の振動が皮膚に伝わるといった触角的要素でもあり、音/音楽の聴覚的要素、気配といった感覚的なものも含まれます。つまりカオスモスマシンの「現象」は、とても有機的で、人体によく似ていると私は考えています。
相良ゆみさんの「ソロ」を、私は見たことがありません。私が見た公演は、複数の出演者がいて、総て振り付けが施されていました。でもそこで相良さんは転がっていたり、飛び跳ねていたり、微足であったり、バレエのステップを踏んでいたのでした。
ここに私は、何らかの「現象」を見たのです。相良さんの即興による「現象」とカオスモスマシンの「現象」が、どのように対峙するのか、皆様と共に体験できる事が、とても楽しみです。それは、白昼夢のような幻想になるのではないかと、私は思っています。
「現象」が発生すると、当然「時間」が伴います。池田龍雄さんは、作家を始める前から「時間」を考えていました。絵画制作からデビューし、その後、瀧口修造家のオリーブの実を浅間山周辺に播く「ASARAT橄欖環計画」を経て、「梵天の塔」を始めました。このルールを以下に引用します。
…64枚の輪を、他の二本ある棒のどちらかに移す作業にとりかかるのです。ただしこの場合、一つの規則を守っていただかねばなりません。その規則というのは、輪を動かすのは一度に一枚だけ、そして、小さい輪の上に大きな輪を重ねてはいけないという実に単純なものです。…(「超時空「第四世界」に向かって」「美術手帖」1973年
1月号/『絵画の距離』収録)
「梵天の塔」とカオスモスマシンの共演は、「現象」と「時間」のみを体験する事になるでしょう。これを退屈で悪夢のような「時間」と感じるか、これまで全く体験したことのない「時間」がそこにあると解釈するのか。それは、ここに身を置く事によって、実感することが出来ると思います。
宮田徹也(awoniyoshi@themis.ocn.ne.jp) |