一覧へ戻る
 

   
[倉嶋正彦+CHAOSMOS]感想  

宮田徹也/日本近代美術思想史

 

         
     

このときの展示風景はこちら

 


   
 
 

2004年10月16日、冨岡雅寛カオスモス展’04[CHAOSMOS Zone](10/1〜10/30)のスペシャルイヴェントの2回目、[倉嶋正彦+CHAOSMOS]が行なわれました。当日、使用されたマシンを記します。

・ Chaosmos CXC-1(2002)〈以下、CC1。〉
・ Chaosmos Turbulent Flow Machine 10 (1999)〈以下、C10。〉
・ Chaosmos Turbulent Flow Machine 2-3(1999)〈以下、CT2。〉
・ Chaosmos Turbulent Flow Machine 8 (1998)〈以下、CT8。〉
・ Chaosmos Turbulent Flow Machine 3(1997)〈以下、CT3。〉

 
Chaosmos CXC-1
(t21)
 
Chaosmos Turbulent Flow Machine 10
(t15)
 
Chaosmos Turbulent Flow Machine 2-3
(t17)
 
Chaosmos Turbulent Flow Machine 8
(t09)
               
 
Chaosmos Turbulent Flow Machine 3
(t03)
           

会場を縦長の長方形に見立てますと、中央の横のラインに半透明のビニール素材のスクリーンが張ってあります。そのスクリーンに向かって、手前と奥に設置してあるプロジェクターが映像を映し出します。右手前には、キーボードが置かれ、着物姿の山口夏実さんが座っています。倉嶋氏とマシンは、右奥に位置しているので、正面から見るとスクリーンの影になり、その動きは見えないことになります。しかし、奥に入ることは決して禁じられている訳ではありませんでした。開演中も、会場内を動き回ることさえ、許されていたそうです。

奥のプロジェクターからは、会場であるBar infocuriousの入口に備え付けられた小型カメラによる表の様子のライブ映像と、倉嶋氏があらかじめ記録した空と海の映像が映し出されます。手前のプロジェクターからは、倉嶋氏が自身で照明を照らし、その場で小型カメラによって撮影された映像が直接、映し出されます。倉嶋氏は小型カメラを3台、使用していたと思います。CT2には固定カメラ、CT3には、上下に移動可能な稼動カメラが備え付けられていました。残りの1台を片手に持ち、もう片手ではマシンの奏作やプロジェクターのスイッチの切り替え等を行なっていました。

使用した機材をまとめてみると、カメラは外の風景用を含めて4台、プロジェクター2台、マニアルスイッチャー(ダイレクト切り替え、簡易式)2台、DVDプレーヤー(空と海の映像再生専用)、カラーコレクター&ビデオフェーダー、照明2基ということになります。

 キーボードの緩やかな音と、スクリーンに映し出された雲の映像から、パフォーマンスは始まりました。環境音楽とは違うのですが、アンニュイと言いますか、良い意味で気だるい演奏と、倉嶋氏の映像は、特に対応しているわけではありませんでした。
淡々とパフォーマンスは続き、何の躊躇もなく自然にパフォーマンスは終わりました。流れを簡単に記します。

初め。録画された波の正面が映ります。
1分。波にマシンの現象が重なります。すると波はすぐ消えます。泡立った層の現象が、スクリーンの上下に流れます。
2分20秒。録画された空と雲が映ります。
2分40秒。野外ライブ映像が映ります。マシンの現象は、上下と渦が混在します。
7分。マシンの現象は下へ流れます。
8分。マシン2台の流れが映ります。
10分。録画された空が移ります。
11分。マシンの現象は痙攣します。
12分。マシンの現象が複雑で、どうなっているのか認識できません。
12分40秒。録画された空のみの映像になります。
13分30秒。マシンの現象は泡立った層であり、ピンクの色がついています。
15分10秒。録画された空のみの映像になります。
15分50秒。マシンの現象は、上下に動いていています。
16分。野外ライブ映像が重なります。
16分40秒。野外ライブ映像が抜け、マシンの上下の現象のみになります。
20分。録画された雲が映っています。マシンの現象が下から湧き上がり、上下に反復します。ここから青い映像になります。
22分。マシンの現象は渦を巻きます。
24分。マシンの現象は、泡立った層です。ここで録画された雲と、青い映像が終わります。
25分。泡立った層は、赤い色を発光します。野外ライブ映像が映ります。
28分。マシンの現象のみを映し出します。ここからモノクロと青い映像が混在します。
33分。録画された雲の映像が重なります。
36分。マシンの現象は上へ湧き上がって行きます。現象が「形」となっています。
42分。録音された雲は波の映像に代わります。いつしかマシンの波の現象と混在します。それは、上から下へと動いています。倉嶋氏のダンスウインドを髣髴させます。
44分20秒。終わりました。

CHAOSMOS LIVE Vol.3の際の倉嶋氏の映像はモノトーン一色であったのに対し、今回はカラーとモノトーンを繰り返し切り替え、禁欲的ではない、とても自由な空間がスクリーンに繰り広げられていました。マシンを映している映像そのものは、いつも倉嶋氏が行なうように、あらゆる角度から捕らえ、あらゆる角度に変形し、大きく引いたところから、これ以上近づけないところまでマシンに接近し、その倉嶋氏が与えて造り出した現象を、正に細密画の如く映し出していました。倉嶋氏は恣意的にマシンを操作しているように見えました。初めから順序を決めているのではなく、思うが侭に操作していた感じがします。3台のカメラ、プロジェクターの切り替え、照明を当てる作業を、倉嶋氏は総て一人でやりました。私は倉嶋氏の姿とスクリーンが見える、正面から向かって左奥のソファに座って見ていたのですが、いつしか倉嶋氏のその様な行動を追うことよりも、スクリーンに集中していました。スクリーンに映し出されている映像が、倉嶋氏の視線、眼、思想そのものなのだということに気がついたからです。しかしこれは、倉嶋氏がカオスモスマシンを操作していることが見えているのが前提であって、カオスモスマシンの「映像」ではなく、人が奏作するから美しいのです。倉嶋氏が自らの視線を曝け出すということは、自己が見る/奏作している自己を見られるという関係性が、一体化していることを容認しているのです。カオスモスマシンの「触る」「動く」「止まる」という特性と、映像というスクリーンの中の時間が混在していました。何故、録画された映像と、野外ライブ映像なのでしょう。倉嶋氏は、観客が生きている時間の同一感/存在感を掴みたかったからではないでしょうか。「雲」「海」という自然現象を「映像」として切り取り、対比させています。この話を倉嶋氏にすると、「雲も、波も、その反復のリズムをみると宇宙的正確さを感じます。カオスモスマシンの現象もそうです。しかし、なにかぎこちないとすれば、それは係る人間の所為と言えます。そのあたりを認識させられるマシンであり、それが魅力でもあります。」という御答を戴きました。ここには「一回性」という、パフォーマンスとビデオの実験、現象にある男性原理と女性原理の融合等も、読み取ることは可能でしょう。

パフォーマンスが終了すると、倉嶋氏は簡単な解説を付け加えました。プロジェクターの切り替えを手動で行なわなくとも、今では映像を途絶えることがない、もっと便利なやり方があるのにも拘らず、今回はあえて上手に見せることよりも手動にこだわったという言葉に、私は倉嶋氏の、カオスモスシリーズに対する深い理解を感じました。カオスモスシリーズの特徴に、電力を使わないことという項目がありますが、その根底には、「人が触れることによって造り出される現象と対話する」という思想があります。ここには、人間が総ての現象を思うまま支配することはできないという様相を読み取ることができるのです。ですから倉嶋氏の映像が、手動による乱れを起こしたとしても、それがまた美しさを帯びてくるのです。

 今まで倉嶋氏は何度もマシンと、かかわってきました。そのリストを下記に挙げます。

ライブ
2001年8月4日/新橋・マキイマサルファインアーツ/冨岡雅寛カオスモス展 '01/second「CHAOSMOS WAVE MACHINE PARTY
2002年11月30日/横浜・gallery CRADLE/CHAOSMOS LIVE Vol.1
2003年6月29日/日本橋・SPC GALLERY/CHAOSMOS LIVE Vol.2
2003年12月22日のJ-ASEAN
2004年10月2日/麻布十番・Bar infocurious/CHAOSMOS LIVE Vol.3

展示
2002年11月29日〜12月12日/横浜・gallery CRADLE/冨岡雅寛カオスモス展'02/third「CHAOSMOS Heterogeneous Reaction
2003年6月29日〜7月12日/日本橋・SPC GALLERY/冨岡雅寛カオスモス展'03/first「 CHAOSMOS Heterogeneous Reaction.2
2003年7月17日〜30日/Para GLOGE/視而不見(しじふけん)シリーズCHAOSMOS/冨岡雅寛編
2004年6月11日〜13日/理化研究所/視而不見(しじふけん)シリーズCHAOSMOS/冨岡雅寛編Double Flows and Interfered Images
 
このように数多くのライブと展示をこなしているのですが、自ら奏作したパフォーマンスは、この程が初めてでしょう。山口夏実さんがもっと挑発的に演奏をして、倉嶋氏の映像と「対決」したのであったのならば、このパフォーマンスの意図とは、ずれてしまったでしょう。山口さんは画廊での演奏も行なっているようです。その心遣いが行き渡った演奏によって、倉嶋氏はマシンの奏作に集中できたのではないかと思います。かといって、今回以外のライブにおいて、倉嶋氏は他の共演者の方々と「喧嘩」している訳では決してないのです。「倉嶋氏が奏作した」ということを、私は強調したいが為です。

何故、海と空の映像なのかは、「カオスモスを自由に語る」の中、「カオスモスを語る 倉嶋正彦氏」で、倉嶋氏自身が、99年のカロカロハウスでカオスモスに出逢ったこと、Turbulent Flow=液体のイメージであること、風景、形の揺らぎを拠点に語っています。確かに、この度のパフォーマンスにおいては、新作は使用されませんでした。カオスモスシリーズの展示を振り返ってみますと、CC1以外の全てのマシンは、1999年12月1日から12月13日まで原宿・ギャラリーカロカロハウスにて行なわれた[冨岡雅寛カオスモス展 '99「YOU KNOW CHAOSMOS」]に出品されたものです。倉嶋氏が初めてカオスモスと出逢った時からの想いを、この度のパフォーマンスで、5年越しに顕したと言えるのではないでしょうか。

倉嶋氏は私に、カオスモスシリーズに対するキーワードを二つ教えてくれました。一つは「愛情」です。この度のパフォーマンスは、倉嶋氏のプライヴェート・ライブとでも言って良いのではないでしょうか。倉嶋氏は思う存分、誰にも咎められずに、「愛情」を以ってマシンを奏作したと感じました。このパフォーマンスを、予め創り上げたビデオ作品として上映するのでは、決してその「愛情」が伝わらないのです。それは、カオスモスマシンが持つ意義とも反してしまうのです。カオスモスマシンは、常に「人」がいなくてはならないのです。そんな基本的なことを、改めて確認できたパフォーマンスであったと、私は思いました。

 もう一つは「エロス」です。有機的なエロス観を、倉嶋氏はカオスモスシリーズに持っている様子です。私は、倉嶋氏の、特にダンス・ドローイングを見ると、何故か「儚さ」を感じます。中世西洋美術の専門用語で「ウァニタス」というものに近い感覚でしょうか、死を予感させるもの、しかしそれは同時に、生への力強い勇気を与えてくれるのです。生と死、エロスとタナトス、この観点から、今後倉嶋氏を語りたいという意識が芽生えてきました。

 
     
     
    このページのトップへ
 

冨岡雅寛 カオスモスシリーズ冨岡雅寛 カオスモスシリーズ

冨岡雅寛 カオスモスシリーズ(c)2004-2008 CHAOSMOS/TOMIOKA Masahiro All Rights Reserved.